好きな元素は何ですか?と聞かれたとき、僕は「マイトネリウム」と答えます。マイトネリウムとは、元素記号「Mt」の109番元素です。1980年代にドイツの重イオン研究所(GSI)で人工的に合成・検出された元素です※1。
※1:109番元素合成・検出の初めての報告はこちらの論文→G. Munzenberg et al, Z Physik A 309, 89 (1982)
マイトネリウムという名称はリーゼ・マイトナーという物理学者に因みます※2。では、マイトナー博士はどんな物理学者だったのでしょうか。
※2:マイトネリウム(Meitnerium)という名称は1997年に認可されています。以下がその報告ページです。

リーゼ・マイトナー博士(画像は Wikipedia より)
マイトナー博士はウィーン大学でPh.Dを取得しました(ウィーンで女性初)。ウィーン大学ではボルツマン博士※3の講義に魅了されたそうです。
※3:ボルツマン博士については、以下の拙ブログ記事もご笑覧下さい。
彼女は1907年に、物理学の理解をより深めるべく、ベルリンに移り、科学者としてのスタートを切ります。そこで後の「大発見」を共に成し遂げるオットー・ハーン博士にも出逢います。
ベルリンに移った当初、マイトナー博士の研究生活は苦難も多かったようです。女性という理由で、メインエントランスを使わせてもらえなかったり、半地下にあった木工作業場で研究をさせられたり、という状況だったそうです。
そんな扱いにもめげず、研究を続けたマイトナー博士は1912年に開設されたカイザ-ヴィルヘルム研究所に助手として採用され、1919年には教授に任命されます(ドイツ初の女性教授)。プロトアクチニウム(Pa)の発見※4が評価され、任命に繋がったとされています。彼女は教授になった後も、後に「オージェ効果」と呼ばれる原子の脱励起に伴う電子放出現象の発見※5などを成し遂げています。
※4:O. Hahn and L. Meitner, Phys. Z. 19, 208 (1918)
科学者としてのキャリアを積み上げていた最中、ドイツではナチス政権の台頭が進み、マイトナー博士はストックホルムに逃げることになります。1938年のときの話です。60歳になった彼女は、ストックホルムで人生をも変える科学史上の大発見に密接に関わることになります。
1938年の12月。ハーン博士とシュトラスマン博士は、ウラン(U)に中性子を照射する実験からバリウム(Ba)ができることを見逃さず、疑問を持ちます。原子番号が92番のウランから、56番のバリウムができることなど、当時は考えもつかなかったためです。そこでハーン博士が意見を求めたのがマイトナー博士でした。ハーン博士はマイトナー博士に手紙を送りました※6。
※6:このマイトナー博士とハーン博士の信頼関係はとても深かったと推察されます。お互いを優秀な科学者として信頼し合っていたのだと思います。
ウランに中性子を当てると、ウランに比べてずいぶんと軽い元素が出てくる。奇妙な実験結果が書かれた手紙を受け取ったマイトナー博士は、甥であるフリッシュ博士と共に、考えを巡らせました。彼女たちは、その実験結果に対して、「核分裂」という理論的解釈を初めて与えました。アインシュタイン博士の理論(E=mc^2)を使って、そのときに放出されるエネルギーも計算しました※7。
つまりは、マイトナー博士は核分裂を“理論的”に発見したのです。
核分裂はセンセーショナルなニュースとして、瞬く間に科学界に広がりました。
1944年のノーベル化学賞は「核分裂の発見」に対して贈られました。受賞したのは、核分裂を示唆する実験結果を見逃さなかったオットー・ハーン博士です※8。
※8:The Nobel Prize in Chemistry 1944|Nobelprize.org
※8:The Nobel Prize in Chemistry 1944|Nobelprize.org
しかし、マイトナー博士は、ノーベル賞を受け取ることが出来ませんでした。詳しい理由は分かりませんが、 彼女がノーベル賞受賞者候補だったことは言うまでもありません。残念ながら、彼女の名がノーベル賞の歴史に残ることは叶いませんでした。
このエピソードに触れるたびに、「発見」とは何か?ということを考えます。山本義隆氏は著書の中で以下のようなことを語っています。
発見とは、あることをただ目撃することではなく、あることをこれまで知られていなかったあることとして理解することなのです。
山本義隆『原子・原子核・原子力 -わたしが講義で伝えたかったこと』岩波書店 (2015) p184
核分裂の応用は、ご存知通りです。1940年代の前半、水面下でいくつかの国で原爆開発が行われました※9。そして、その開発は1945年8月に広島・長崎への原爆投下に繋がってしまいます。
※9:「いくつかの国」には日本も含まれます。
自身の「発見」が導いた歴史にマイトナー博士は心を苦しめたそうです。加えて、ユダヤ人であることに対する迫害、そして、女性であることに対する差別も追い打ちをかけたことでしょう。彼女は、それらの苦悩と向き合い抜いた偉大な科学者です。
マイトナー博士は1968年にこの世を去りました。彼女の墓石には、こう記されているそうです。A physicist who never lost her humanity.
およそ30年の時を経て、彼女の名は周期表に刻まれることになりました(1997年)。そう、109番元素のマイトネリウムです。
この元素が発見されたのは、彼女が亡くなった後です。なので、彼女がこのことを知ることはありません。でも、これからもずっと、周期表の中に、彼女の名は刻まれ続けます。周期表を通して、彼女との時を越えた出逢いをする人もいることでしょう。
僕もその一人です。
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以下はマイトナー博士について、さらに知りたい人向けの参考文献です。
- 米沢富美子『人物で語る物理入門〈下〉』岩波新書 (2006) p116-p132
- シャロン・バーチュ・マグレイン 著/中村桂子 監訳/中村友子 訳『お母さん、ノーベル賞をもらう -科学を愛した14人の素敵な生き方』工作舎 (1996) p53-p91
- シャルロッテ・ケルナー 著/平野卿子 訳『核分裂を発見した人 -リーゼ・マイトナーの生涯』晶文社 (1990)
- R・L・サイム 著/米沢富美子 監修/鈴木淑美 訳『リーゼ・マイトナー -嵐の時代を生き抜いた女性科学者』シュプリンガーフェアラーク東京 (2004)
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