科学コミュニケーションとは何だろうか(2019年11月27日版)

改めて、科学コミュニケーションについて考えるため、ストックルマイヤー博士らの著書を開きました。その本の出版が日本における科学コミュニケーションの広がりの契機でした。彼女たちは「科学コミュニケーション」を以下のように表現しています。

科学というものの文化や知識が、より大きいコミュニティの文化の中に吸収されていく過程
ストックルマイヤーほか 編著『サイエンス・コミュニケーション』丸善プラネット (2003) i

この定義を起点とすると、まず浮かぶ疑問は、なぜ「科学というものの文化や知識」を「より大きいコミュニティの文化の中に吸収」させていく必要があるのか、というものです。

その答えは、科学やその産物が社会にあまりにも浸透してきているから、というものでしょう。2011年の福島原発事故の際にも、放射能や放射線、セシウム137やストロンチウム90などの原子核・放射線物理の用語がメディアで多用されました。最近でも、機械学習やAI(人工知能)といった言葉がメディアに溢れています。研究不正のニュースも度々耳にします。

いつのまにやら、科学は遠くに置いておけば良いものではなくなっているのです。

科学は、エネルギー問題、環境問題、再生医療問題などを通して、生活に密接に関わる場合もあります。はたまた、莫大な税金や巨大な装置、そして、数百や千人規模の研究者が関わる科学研究(ビッグサイエンスと呼ばれます)をどこまで社会として許容すべきか、という議論で経済問題になることもあります。

これらは科学に関する問題ではありますが、科学だけでは答えられない問題(トランスサイエンスと呼ばれます)です。だからこそ、そのような問題を考えるべきは、科学者だけでなく、社会の構成員一人ひとりであるべき、という考えに至ります。

そうであるならば、より多くの人(公衆)がそのような問題を考えられるように、

  • 公衆の科学理解(public understanding of science)[※1]
  • 公衆の科学意識(public awareness of science)
  • 公衆の科学関与(public engagement with science)
  • 公衆の科学参加(public participation in science)

といったことを促進することが有効です[※2]。そして、その営みこそが科学コミュニケーションの本質なのだろうと僕は考えます。
[※1] PISA調査でも言及されているように「科学"の"知識」だけでなく「科学"についての"知識」を学ぶことが大切だと思います。

では、その営みとはどのようなものなのでしょうか。僕は二つの側面から理解できると思っています。一つは、

  • 非専門家-専門家の対話の創出

です。これは、科学コミュニケーションの“素過程”とも言えます。そして、その対話をより双方向的でかつ対等なやり取りにしていく試みは、科学コミュニケーションの「質の向上」に繋がります。もう一つには、

  • その“素過程”を誘発・促進する場/システム/人材の創出

が挙げられます。これは言わば、科学コミュニケーションの「量の増大」に当たります。サイエンスカフェの開催や科学コミュニケーター養成講座の開設がその例になります。これらの概念をまとめると下図にようになります。

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図:科学コミュニケーションの広がりの概念図

科学コミュニケーションの“素過程”を誘発・促進する場やシステムがどんどん広がっていき、かつ、それぞれの機会の中でも、たくさんの“素過程”が生まれていくことが、「科学というものの文化や知識が、より大きいコミュニティの文化の中に吸収されていく過程」に対応しています。

科学コミュニケーションとは何だろうか。ことあるごとにぶつかる疑問です。つかみどころのない概念の輪郭を探ることはとても根気のいる作業だな、と感じます。

今回ここに書いたことも、まだまだ修正・拡張すべきだと思います。だからタイトルにも、「2019年11月27日版」という但し書きを入れています。

引き続き、実践や思索を続け、科学コミュニケーションに関する理解を深めていきたいです。

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