アインシュタイン博士の来日と日本人物理学者

1922(大正11)年に改造社がアインシュタイン博士(1879~1955)を日本へ招待しました。博士を乗せた北野丸はその年の10月初めにフランスを経ち、およそ1カ月をかけて日本に到着しました。アインシュタイン博士はその後、日本各地へと講演旅行を行いました。以下がその旅程です。


10月8日:フランスのマルセーユ港を北野丸が出港。
11月10日:香港に寄港した北野丸にノーベル賞の電報が入る。
11月17日:北野丸が最終目的地である神戸到着。
(アインシュタイン博士は東京の帝国ホテル、栃木の日光金谷ホテルなどに宿泊。)
12月24日:博多入り。講演後、栄屋に1泊する。
12月25日:九州帝国大学への訪問後、三宅速博士宅を訪問し、門司港へ。
12月29日:アインシュタイン博士は棒名丸で門司港から出港。


神戸到着から門司港出港までの詳しい旅程は以下の文献に記載されています。

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歓迎を受けるアインシュタイン博士とエルザ夫人。画像は Wikipedia より。


改造社の精力的なプロモーションや来日直前のノーベル賞受賞※1にも後押しされ、世界的物理学者の来日による盛り上がりは相当なものだったようです※2。アインシュタイン博士の招聘にも尽力した桑木あや雄博士※3(1878~1945)の著書にもその様子が書かれています[3]。また文献[4]にも、多くの人に囲まれるアインシュタイン博士の写真が掲載されており、その盛り上がりに触れることができます。

※1 アインシュタイン博士は該当者がいなかった1921年のノーベル物理学賞を1922年に受賞しています。ノーベル財団のウェブページにも、その旨が掲載されています。
※2 科学史研究者の岡本拓司先生は著書[2]の中で、盛り上がりの要因には、石原純博士の恋愛(不倫)事件や土井不曇博士による反相対性理論発表も含まれているだろうと指摘しています。
※3 「あや」は「或」に似た漢字。
[2] 岡本拓司『科学と社会:戦前期日本における国家・学問・戦争の諸相』サイエンス社 (2014)
[3] 桑木あや雄『偉人傳全集 第十八巻 アインシュタイン傳』改造社 (1934)
[4] 杉元賢治・編訳、佐藤文隆・解説『アインシュタイン 日本で相対論を語る』講談社 (2001)


桑木博士は、アインシュタイン博士招聘当時、九州帝国大学教授を務めており、アインシュタイン博士と旧知の仲でもありました。アインシュタイン博士は桑木博士を物学者として高く評価していたそうです。Wikipediaによると、桑木博士は日本人として初めてアインシュタイン博士に会った人でもあるそうな。桑木博士の著作には、ドイツ留学時代に、スイスの特許局員だったアインシュタイン博士を訪ねた経験があることが以下のように回顧されています。


私は明治四十年ドイツに留學の折には、主としてベルリンに在つてプランク教授を聴講した。アインシュタイン教授は其頃瑞西ベルン特許局の一技師であり、一日余は氏を其の特許局に訪れた忘れ難い記憶がある。
(桑木あや雄『科學史考』河出書房 (1944) p529より)


日本への興味や科学を広く伝えたいという気持ちもあったのでしょうが、桑木博士のように、旧知で信頼のおける日本人物理学者がいたこともアインシュタイン博士が来日を決意した要因だったのでしょう。


アインシュタイン博士の招聘に尽力した物理学者としては、先の注意書きにも書いた石原純博士(1881~1947)がいます。彼は桑木博士と同じく「相対性理論を日本に広めた物理学者」として知られています。石原博士については、理科ハウスによるページが参考になります。

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