科学コミュニケーションにおける放射性廃棄物に関する覚え書き

放射性廃棄物の処分は、現在の人類が対峙している大きな問題です。もし、全世界で原子力発電を行わなくなったとしても、既に存在する放射性廃棄物の処分には向き合わねばなりません。

日本学術会議は2012年9月に「高レベル放射性廃棄物の処分について(←pdfファイルです)」を発表しました。続いて、2015年4月には提言「高レベル放射性廃棄物の処分に関する政策提言-国民的合意形成に向けた暫定保管(←pdfファイルです)」が出されました。これらの文書の要約記事(文献[1][2])も発表されています。
※2012年の文書に対する山口氏(原子力資料情報室(CNIC))の批評文も参考になります[3]。

上記文書を作成するための検討委員会は文理融合型のものになっており、合意形成への模索、科学的限界の自覚、日本固有の条件などが議論されました。

その議論の中で特に注目すべき事項は、「暫定保管」だと思います。最終処分場の決定が当面難しい現状を鑑み、50年ほどのモラトリアムを用意する方針を日本学術会議は提案しています。これは当時の政府見解とは異なる方針を示したことになります。

今しがた「当時の政府見解」と書いたのは、最近の政府文書からは少し立場が変わった様子が伺えるためです。例えば、「第5次エネルギー基本計画(2018年7月)」では、以下のような文章が見られます。

広く国民に対し説明し理解を得ながら、地層処分を前提に取組を進めつつ、可逆性・回収可能性を担保し、今後より良い処分方法が実用化された場合に将来世代が最良の処分方法を選択できるようにする。(p52)

放射性廃棄物を適切に処理・処分し、その減容化・有害度低減のための技術開発を推進する。具体的には、高速炉や、加速器を用いた核種変換など、放射性廃棄物中に長期に残留する放射線量を少なくし、放射性廃棄物の処理・処分の安全性を高める技術等の開発を国際的な人的ネットワークを活用しつつ推進する。(p53)

暫定保管を行うのであれば、その期間中に核変換技術の研究開発のために放射性廃棄物を利用しても良いことになります。しかし、核変換技術が本当に放射性廃棄物の処分に用いることができるのかは未だ不透明であり、注視する必要があります。

今後、どの方針が望ましいのか、もしくは、それらの合意形成や情報発信・共有をどのように行えば良いのか、科学コミュニケーションにおいても大きな課題と言えます。

さて、以降では少し目線を変えて、放射性廃棄物の歴史に目を向けてみます。

原爆の技術が発電に用いられ始めた頃、原爆開発にも携わったオッペンハイマー博士やシーボーグ博士らは、放射性廃棄物に対して楽観的な立場を取り、その処分の問題を「a solvable problem」と位置付けていたそうです[4]
[4] 安俊弘「高レベル放射性廃棄物地層処分」科学 Vol.83 No.10 (2013) p1152-p1163

彼らは、放射性廃棄物の問題が“科学で問えるが科学だけでは解決できない”「トランスサイエンス」[5,6]の問題であることに気付いていなかったのです。このトランスサイエンス性が、放射性廃棄物の処分、とりわけ、その処分場の選定を困難にしていると言えます。
[5] A.M.Weinberg Science and Trans-Science Minerva Vol.10 No.2 (1972)
[6] 小林博司『トランス・サイエンスの時代 科学技術と社会をつなぐ』NTT出版 (2007)

また、放射性廃棄物の問題が持つ特徴には、そのトランスサイエンス性はもちろん、複数の世代に関わるスケールの大きさも挙げられます。

それゆえに、放射性廃棄物や原子力に関する哲学も議論されています。戸谷洋志氏はハンス・ヨーナスやハンナ・アーレントを取り上げ、原子核反応の取り扱いや世代間倫理、原子力問題の途方もなさなどを論じています[7]。これについては以下のウェブ記事も参考になります。

ハンナ・アーレントについては文献[8]のp229-p275でも取り上げられています。

放射性廃棄物に関する科学コミュニケーションでは、科学からの知見のみならず、このような哲学からの知見など、多様な知見を参考にすることが求められるでしょう。そして、そのための人材育成やネットワーク形成をどうするのか、といった課題も自然と湧いてきます。

その「途方もなさ」に思考停止せぬようにしたいです。

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